「フィッシュストーリー」とセックス・ピストルズ

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シド・ヴィシャス その1

パンクロッカーで、パンク・ロックそのものを地で生きた生き様から「パンクの精神」と呼ばれてイギリスだけではなくシド・ヴィシャスを崇拝する人達は年代の差を越えて、幅広く今も尊敬と崇拝されつづけています。重度のジャンキーで21歳という若さで亡くなりましたが、圧倒的なカリスマとして今では伝説となっています。パンクのカリスマ「シド・ヴィシャス」ですが、彼の短い生涯は映画化もされています。

本名は、ジョン・サイモン・リッチー(John Simon Ritchie)です。シドという芸名はジョニー・ロットンが昔飼っていたハムスターの「シド」名前からで、ロットンの父親にハムスターがかみついたことから「ヴィシャス(凶暴な)」という苗字が付け加えられました。

シド・ヴィシャスの人生

誕生

シドはサウスイースト・ロンドンのルイシャムで、父親ジョン・リッチーと母親アンのもとに生まれました。アンは学校を中退した後にイギリス空軍に入隊しました。そこでバッキンガム宮殿の衛兵をしていたジョンの父と知り合い、彼の息子と交際するようになりました。アンは出産後イビサに引っ越しをしますが、結局ジョンとの結婚は破談となりました。1965年にクリストファー・ビヴァリーと再婚し、シドも「ジョン・サイモン・ビヴァリー」(John Simon Beverley)と改名しました。

セックス・ピストルズ

シドは元々、セックス・ピストルズの熱狂的なファンの一人でした。ファンの頃からピストルズのライブ中に記者が邪魔でピストルズが見えないと言ってその記者をベルト代わりにつけていた自転車のチェーンで殴ったりすることもあり、ファンの中でも特に目立っていた存在でした。

ピストルズのライブの際に初めて怪我人が出たこともありました。その怪我人がでた原因は、ライブ客の一人がステージに向かってビール瓶を投げたら、そのビール瓶が柱に当たりビンの破片が飛散しました。その飛散した破片が、少女の目に刺さって失明するという事件でした。実際にビール瓶を投げたのはシドではありませんでしたが、シドの立居振舞の悪さからシドが逮捕されました。そんな時期に「ポゴダンス」(ライブで垂直にぴょんぴょんジャンプする事)をしています。(シドの弁では、このダンスおしたキッカケは「ライブ会場にいる敵をつぶすためにジャンプして上から潰す!」というためらしい。)

セックス・ピストルズのファンとして、ライブに出入りしていたこの頃から、シド・ヴィシャスという名前は界隈では有名になっていました。サイモン自身(シドの本名)も、「シド・ヴィシャス」という名前の通りに行動する事に使命を燃やしていました。そして、失明事件によって収監されたシドは、この事件でさらにパンクシーンの顔役となっていきました。

シド・ヴィシャスとジョニー・ロットン(ボーカル)は、ファッション関係の専門学校時代からの友人でもありました。その縁もあって初代ベーシストにして唯一の作曲者だったグレン・マトロックがセックス・ピストルズを脱退すると、バンドのマネージャーでもあったマルコム・マクラーレンの誘いがあり、後任のベーシストとなりました。

その当時セックス・ピストルズのメンバー間では、スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは非常に仲が良く常に行動をともにしていました。ポール&スティーブ、グレン、ロットンという対立の構図が出来上がっていました。マネージャーのマルコム・マクラーレンはメンバーの仲を取り持つ事をしないで、その反対にメンバー間をいがみ合わせるようにしていました。

グレンと折り合いが悪かったロットンは、グレンの脱退後にスティーブ&ポールに対して発言権を強めたい目論みもあって親友のシドをベーシストにと、強力にマクラーレンにプッシュしたのでした。シドはこの話の直前に、ダムドのフロントマンとしてオーディションを受けていました。そして、最終選考まで残っていたのでしたが、最終選考日に寝坊してすっぽかしをしたため、ダムドのフロントマンになり損ねていました。

ネオパンク

ソロとして

ジョニー・ロットンがセックス・ピストルズを脱退後に、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」やエディ・コクランの「サムシング・エルス」、「カモン・エブリバディ」などのパンクバージョンを収録したシングルをリリースしました。シドが亡くなった後にそれらを集めた『シド・シングス』というライブアルバムをリリースしています。

セックス・ピストルズでの音楽活動の最後は「ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル」の収録です。 この収録に際しても、パリでのMY WAYの撮影時に既にシドは普通に行動するのも困難な状態になるまでヘロインによって身体は蝕まれていました。体はガリガリに痩せ細って衰弱して、歌詞を覚えて1曲を収録するまでに1週間近くかかるほどでした。

その後は、セックス・ピストルズの初代べーシストのグレン・マトロックに、彼の憧れでもあったジョニー・サンダースたちと一時的に組み、ライブを行っています。 ただしジョニー・サンダースとのステージでは、シドと同じジャンキーのジョニー・サンダースからみても、シドの状態は非常に悪くその状態の悪さはステージ上でもひどいありさまで、そのせいでライブパフォーマンスを保てないシドを途中で降板させています。

この降板させられた出来事は、激しくシドを失意に落とした出来事になったと言われています。 1978年に、ジョニー・ロットンと和解して、2人で新たなバンド結成の話しを持ちかけています。ジョニー・ロットンも話しに乗っていましたが、ナンシー・スパンゲンが間に入って、そのバンドのフロントマンはシドじゃないとダメだと譲らかったたため、ジョニーが「じゃあ、おれは何をやるのさ?」と問いかけるとナンシーは「あなたはドラムでもやったらいいわ」と言い放ち、結果的に夢の実現は、ナンシー&ドラッグを断てないシドのため崩壊して終わっています。

1978年9月にニューヨークに渡ったシド&ナンシーは、ナンシーの働きかけによって、マクシズで3回ライブパフォーマンスを行っています。ライブハウスは、連日超満員でしたが、シドはドラッグの力でようやく立っているのがやっとという状態で、シドはマイクスタンドにしがみついている状態でした。そして時折ステージ上で倒れこんでしまうというライブでした。 さらには、歌詞を思い出すことが出来ずに歌詞カードを手にして、歌わなけれ歌さえも歌えず、ついには1曲もまともに歌う事もできなかったため、観客からも冷やかな反応を受けることになりました。3日目のステージでは、ザ・クラッシュのミック・ジョーンズと共演しています。シド&ナンシーはこの辺りから、「死」ということを口にする事が多くなり、実際にナンシーは自殺を図るようになりました。 シドはラストライブの後に、ハードドラッグによるオーバードーズ(過剰摂取)によって意識を失い、そのまま入院しました。 その為にロックンロール・スウィンドル撮影のリオ行きの飛行機に乗ることができず、スティーブ&ポールとは合流せずに不参加で終わりました。

1978年10月13日、ニューヨークにあるチェルシーホテルのバスルームで恋人のナンシー・スパンゲンの死体が発見されました。真相は未だに明らかではありませんがが、凶器となったナイフがシドの所有物であったため、麻薬で錯乱したシド自身が刺殺したと言われています。 しかし、ナイフには指紋が拭きとられている状態で、シドの元に入ったばかりの「MY WAY」の印税2万ドルが全て無くなっていました。 シドはナンシー殺害とされている時刻には、ツイナールの過剰摂取によってオーバードーズによる昏睡状態だったため、それから後に医師たちから、服用した量から推測すると5時間は昏睡状態であったといわれています。その間にも、複数人の部屋への出入りも確認されているため、その時にはシドが昏睡している事を証言されています。

シドは昏睡状態から意識を取り戻すと、血だらけで死んでいるナンシーを見つけて、ホテルのフロントに連絡しています。ナンシー殺害の一説には、ナンシーにドラッグを売っていた男が、ナンシーの死の前日に1杯の酒代をせびっていた程お金に困っていた様子だったにも関わらず、ナンシー殺害の翌日には新品のブーツとレザーパンツ姿でバーに現れて、血のついたシャツを見せびらかしていたという話や他にも二人が自殺を図って、昏睡したシドを死んだと思ったナンシーが自殺したという説もありますがその説だと、指紋が拭きとられて置いてあったナイフと、消えた2万ドルの謎とは結びつきません。

ナンシーにドラッグを売っていた男は、のちにナンシー殺害をほのめかす発言やナンシーを殺害した場面をVTRに収めています。そしてそのVTRを販売して一儲けするよな話をしていたという話がありますが、真相は明らかになる前に病死しています。

しかし、この時期のシド&ナンシーは互いを殴り罵るという激しい喧嘩を繰り返していました。 またナンシーは腎臓を病んでいたため、その苦痛の激しさから逃れる為にハードドラッグにすがっていたといいます。

シド&ナンシーの暮らしたチェルシーホテルの部屋は、ナンシーが亡くなった事件後にパンクのロミオとジュリエット神話となり、崇拝者達の巡礼地となってしまった事に困惑したホテル側によって取り壊されて、ランドリー室へと作り替えられました。そして 部屋番号も欠番扱いとなってその数字は飛んでいます。

シドは警察に逮捕されましたが、レコード会社が多額の金を払って保釈されました。しかしその後も、自殺未遂を起こしたり、パティ・スミスの弟をビール瓶で殴るなどの騒ぎを起こした末に、1979年2月2日、遂に麻薬の過剰摂取によって死亡しました。

シドが死に至った直接的な理由として、収監されて完全にヘロインが抜けきった体に、高純度のヘロインを収監以前に打っていたのと同じ感覚で大量に摂取したためです。そしてその高純度のヘロインは、その夜、シドに哀願されて、シドの母親が渡したヘロインでした。

シドの死後に、シドの皮ジャンポケットの中から、直筆の遺書らしいメモが発見されました。

『俺達は死の取り決めがあったから、一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 こっちも約束を守らなきゃいけない。

今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。

お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。

レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして、さいなら。』と記されていたそうです。シドの母親は、ナンシーの墓の隣に埋葬して欲しいという息子の遺言を果たそうとしますが、ナンシーの両親に拒絶されたためにシドの墓を掘り起こして、彼の遺灰をナンシーの墓に撒いてシドの思いを果たすことができました。

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時系列でのあらすじ 時系列でのあらすじ2 主題歌&制作スタッフ セックス・ピストルズ God Save the Queen
シド・ヴィシャス その1 シド・ヴィシャス その2 記録 勝手にしやがれ!! シド&ナンシー