「フィッシュストーリー」とセックス・ピストルズ

格安のイギリスツアー!

シド・ヴィシャス その2

シドその人柄

ライカーズ刑務所収監時の記録で、身長は 6フィート1インチ(約185cm) 体重 7ストーン(約45kg)となっています。

過激な伝説とは裏腹に、本来は非常に気弱で礼儀正しい青年であったとも言われている。 ジョニーロットンは「ヴィシャス(「意地悪い」という意味も)」という芸名について「奴の性格から一番遠い名前をつけた」と語っています。

ピストルズ加入以前のシドは、そのファッションセンスとスタイルの良さからヴィヴィアン・ウエストウッドに寵愛されて、とても目立つ存在でした。そして彼自身シド・ヴィシャスという芸名を非常に気に入っていて、自分が大好きであったマーベルコミックのヒーローになぞらえてシド・ヴィシャスを演じるようにふるまっていました。 しかし、彼の独特の考え方で常に行動していたことから、既存の社会通念やルールといった概念は一切無視していたので、周囲からは困惑される人物でもありました。 シドは、自分自身がロットンや観客に求められているイメージのままに行動する事に喜びを感じていて、やがてサイモンではなく、シド・ヴィシャスそのものへと変わってしまったと母親は語っています。

セックス・ピストルズ時代では、ライブではステージ上から客を挑発して、エキサイトして向かってきた客と殴りあう事が多くありました。 アメリカツアー当初は当局への配慮から厳しく「ハード・ドラッグ禁止」されていたため、監視下でシドのヘロインを求める渇望と禁断症状は激しいものでした。 ペパーミント・シュナップスを2本空けても、喉の渇きは一向に止まることはなく、終始、汗びっしょりで汗と冷や汗を交互にかいて、立ったと思ったらまた座ったり、今度は横になったままといったような事を繰り返していました。

やがてヘロインを我慢することに限界にまで達したシドは、テキサス州ダラスのライブで、自分の胸にカミソリで「Gimme a Fix(一発くれ!)」と刻んで、客から投げ込まれた物で鼻血まみれになりながらベースプレイをしている姿は有名です。まさにパンクそのままの彼の生き方は、多くの若者の支持を集めるようになり、後期のピストルズでは、ステージ上ではシドの過度の悪ふざけパフォーマンスの方に注目が集まるようになっていきました。特にアメリカツアーでは、ロットンがインフルエンザに罹り冴えなかった事もあって、ライブでの群集はステージの左側(シドの立ち位置)に詰めかけるようになっていきました。

セックス・ピストルズ=ロットンの図式だったのが、序々にバンド内の人気をロットンとシドへと二分していきました。 シドがヘロインなどの強い麻薬に溺れたのは、元々はナンシーがハートブレイカーズとともに英国シーンにもたらした言われています。しかし、シドの母親がそもそも重度の麻薬依存者でもあり、シドがナンシーと出会う以前からスピードやツイナールといった軽度の薬物は使用していました。

アメリカツアー中のダラスのパーキングエリアで、食事をしているシドにカウボーイが「お前がシド・ヴィシャスか? けっ笑えるぜ! そんなにタフだっていうなら、これは出来るか?」と言い、自分の手の平でタバコの火を消して見せました。 それを受けたシドは、ステーキがのる皿の上に腕を出して、カウボーイを睨みながら平然と自分の腕にナイフを突き刺して見せて、腕から滴る血がステーキに垂れているのもものともせずに、ステーキを食べ続けて、カウボーイを逃げ出させています。

またシドの大ファンだという女性ファンが、バックステージでシドに何か思い出になる記念が欲しいというと、その彼女を寝かせてフェラチオをさせた後に彼女の上に大便をしてみせました。

ネオパンク

ファッション

「R」が刻印されている香港・ラビット社の南京錠のネックレスとリング・ベルトをトレードマークとして身につけていました。『シド・アンド・ナンシー』(映画)では、スパンゲンからのプレゼントとして演出されていますが、実際には後にプリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドからのプレゼントでした。

鎖のチョーカーのネックレスは、日本では「シド・チェーン」と呼ばれて、現在でも通用する単語となっています。リングベルトは日本では「シド・ベルト」と呼ばれて、ジョーン・ジェットからのプレゼントでした。このシド・チェーンは、元々はSMグッズの中の一つでした。

アメリカツアー時に愛用したロングブーツは チペワ製の17インチ(筒長)のエンジニアブーツ(型番27909)です。 これは、シド憧れの人物ジョニー・サンダースが愛用するブーツと同様でした。ツアー移動中のバスの中にそのブーツの持ち主ボブ・グル―エンが居眠りしている隙に拝借して、その履き心地が気に入って、手放したくなくなったシドがグルーエンの喉元にナイフを突き付け強引に自分の物にしました。

同じよう愛用していたレザージャケットは50年代後期~60年代初期頃に販売された、PENNEY'Sのツースターモデルのビンテージジャケットで、スティーブ・ジョーンズから譲り受けたといわれいます。左胸にスタッズにてSteveと書かれていて、右胸にはアメリカ陸軍の帽章が飾られています。

右足の太ももを飾っていたのは女性用のキャットガーターです。アメリカツアー時は外周が黒のレースに赤いレースでセンター帯が入り、赤いリボンが付いて、リボンの外周には黒いレースがついていました。 映画ロックンロールスウィンドルでは、白のレース帯の外周に黒いレースがつき、白いリボンを解けた状態で長く垂らしています。

音楽

ピストルズに加入する前は、フラワーズ・オブ・ロマンスとスージー・アンド・ザ・バンシーズでドラムを担当していました。スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビューライブではシドがドラムを叩いています。

ピストルズに加入した当初は全くベースを弾いたことがありませんでしたが、ピストルズに加入してからベースプレイに精を出して、初期のライブではベースの位置は高い状態ですが曲に合わせて弾いているのが確認ができます。しかし、その後ナンシー・スパンゲンと知り合ってからは、ベースプレイの練習も投げ出して2人で麻薬に溺れるようになっていってしまったため、ベースプレイは上達していません。

「一切ベースを弾けなかった」という噂の反面、作曲での才能はピストルズの「Bodies」という曲などで作曲を発揮しているので、天性の才能を持ち合わせていた一面もうかがえます。この曲の作曲経緯について後日談としてスティーブ・ジョーンズが1990年にMTVのインタビューで語っています。また「Belsen was a gas」もシドの手による曲の一つです。シドが死後、いくつかの曲の構想を書き記した物も見つかっています。

グルーピーからヘビードラッグの提供を受けるようになってから、シドは急激に麻薬への依存度が高くなり、ライブ中も立っているのがやっとの状態でした。ある時には4本あるベース・ギターの弦のうち3本の弦が切れているのにも気がつかずに掻き鳴らしていた状態で、怒ったスティーブがアンプを切ったという逸話も語られています。

白ボディに黒ピックガードのプレシジョンベースを使用していたましたが、プレシジョンベースを使用した理由は、シドが熱狂的なラモーンズファンだったからです。 アメリカツアー初公演のサンアントニオのライブでは、集まった2200人強のメキシコ人が、セックス・ピストルズに対する敵意をむき出しにして、ステージに詰め掛けてきたため、シドはライブの途中でベースを斧のように構えて客席を威圧して、何度もベースを振り回して、時には掴みかかってくる客に殴りかかっていきステージ防衛をしなければいけないほどでした。またテキサス州ダラスでのライブでは、ピストルズのライブにエキサイトして、ステージに上がってきた客の肩を愛用のベースで殴るという事件も起こしています。

ロットンはシド・ヴィシャスはセックス・ピストルズへの音楽的な貢献はなかったと語っています。売り上げでいうと、シドのシングル「Something else」は、発売後2週間で38万2000枚のリリースを記録しています。ちなみにこの記録はセックス・ピストルズの楽曲の中で最大のヒット・ソングとなった「God save the queen」を10万枚以上も上回っているので、事実上セックス・ピストルズ関連楽曲ではNO.1セールスとなっています。

ちなみにロットン脱退後にセックス・ピストルズ名義でリリースされた「MY WAY」は、指名手配犯のロナルド・ビッグズとの「No one was innocent」とカップリングでのリリースでしたが、フロントマンが指名手配犯だったこともあって公共の放送は見合わされることになりました。最高位7位のチャートを記録して、セックス・ピストルズの「Pretty vacant」と同等の成績を残しています。これによって「C'mon everybody」の製作が決まりました。「MY WAY」の一節には脱退したロットンを馬鹿にする内容の歌詞がシドによって盛り込まれています。

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時系列でのあらすじ 時系列でのあらすじ2 主題歌&制作スタッフ セックス・ピストルズ God Save the Queen
シド・ヴィシャス その1 シド・ヴィシャス その2 記録 勝手にしやがれ!! シド&ナンシー