「フィッシュストーリー」とセックス・ピストルズ

格安のイギリスツアー!

セックス・ピストルズ

「フィッシュストーリー」で逆鱗がデビューしたのは、セックス・ピストルズがデビューする1年前の1975年です。セックス・ピストルズはパンクミュージックシーンでは絶対はずせないバンドです。セックス・ピストルズが世界でも初めて、自国(イギリス)の王室に政府、そして大手企業を名指しで攻撃して、ロンドンの若者を熱狂させたグループだからです。その頃のイギリスは、深刻な経済不安に陥っていて景気も低迷していました。

仕事がない若者や解雇されて行く場所がない若者が溢れ返っていました。若者たちがやり場のない怒りをストレートに表現してくれるそんな人間を、ロンドンの若者は求めていたのかもしれません。

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セックス・ピストルズ誕生から終焉

マルコム・マクラーレン

パンク・ロックはイギリスが発祥だと思われていますが、パンク・ロックの誕生したのはアメリカのニューヨークです。ニューヨークのクラブで若者たちがたむろして盛り上がっていたパンク・ロックにマルコム・マクラーレンは衝撃を受け強い影響を受けました。

マルコム・マクラーレンはイギリスで1971年にヴィヴィアン・ウエストウッドと共にフィフティーズ調のファッションブティク「Let It Rock」を営業していました。マクラーレンはニューヨークのクラブでパンク・ロックの影響を受けてイギリスに帰国後営業していた「Let It Rock」という店名から「SEX」と店名を変更しました。そして店に出入りしていた不良少年スティーブ・ジョーンズ(ギター)とポール・クック(ドラムス)が結成したアマチュアバンドに目を付けて積極的に介入していきました。

そして、「SEX」の店員のグレン・マトロック(初代ベース)とオーディションでボーカルを選びジョニー・ロットンを加入させて1976年11月にバンドの形として貸しスタジオで練習を積み「セックス・ピストルズ」としてライブデビューし、シンプルなロックン・ロールと反体制的な歌詞に斬新なファッションとそして、スキャンダルの数々(メディアを意識して)ですぐに注目されるようになり、同年の1976年EMIと契約しました。

シングル「アナーキー・イン・ザ・UK/アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースしますが、放送禁止用語をテレビで連発したことが問題視されて契約は破棄されました。

シド・ヴィシャス加入

1977年にベーシストのグレン・マトロックが脱退します。脱退の理由には、ボーカルのジョニー・ロットンとの不仲だと言われています。そしてベーシストの後継として、前からロットンと親しかったシド・ヴィシャスが採用されることになりました。このパンクの精神とも言われている強烈なカリスマのシド・ヴィシャスの加入で、ピストルズはますますスター性のあるバンドになりました。グレンは、作曲面における功績が大きかったので、グレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすことになりました。

EMIが契約を破棄したので、次はA&Mレコードと契約することになりましたが、シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/ディド・ユー・ノー・ロング」の発売直前にまたしても破棄されることになりました。バンドはEMIでも契約破棄で巨額の違約金をてにしましたが、またしても巨額の違約金を手に入れることになりました。

その次はヴァージン・レコードと契約。そしてエリザベス女王在位25周年祝典の日に、テムズ川のボートでゲリラライヴを行いました。ゲリラライヴで、英国国歌と同名の曲「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演奏してメンバーは逮捕されることになりました。しかしこのプロモーションの成果は上々で、全英シングルチャートで最高2位(NMEチャートでは最高1位)を記録しています。ただしジョニー・ロットンとポール・クックが右翼に襲われて重傷を負う事件が発生したこともあり、バンド活動はしばらく停滞することになりました。

唯一のアルバム発売

1977年10月、セックス・ピストルズ唯一のオリジナル・ファースト・アルバム『勝手にしやがれ!!』を発売します。このアルバムは、ロキシー・ミュージックやピンク・フロイド、ポール・マッカートニーなどを手掛けたクリス・トーマスによってプロデュースされました。マルコム・マクラーレンは、アルバムの販売権をヴァージンには独占させずに、フランスの会社に1曲多い盤の製作を許可したりして揺さぶりをかけました。アメリカでは、大手のワーナー・ブラザーズ、日本では当時ヴァージンと提携していた日本コロムビアから発売されたましたが、2012年にバンドがユニバーサルミュージックと世界契約を結んだため、各国のユニバーサルミュージックからの発売となりました。

バンドの終焉

1978年ワーナー・ブラザースの企画によって、バンド初になるアメリカツアーを決定します。保守的なアメリカ南部からのツアーを開始しましたが、アメリカツアー中にバンドは破滅へと向かっていきます。同年1月14日アメリカツアーの最中に(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)、ジョニー・ロットンがバンドを脱退して、実質上セックス・ピストルズの終焉となりました。

バンド解散後

ジョニー・ロットンが脱退してから、急遽アメリカツアーを中止。スティーヴ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人のロナルド・ビッグスや、ナチス戦犯で絞首刑の判決を受けて、処刑前に自殺したが1972年まで死体が見つからなかったために、南米逃亡説が出ていたマルチン・ボルマンとコラボレーションを行ったりして、おふざけ半分状態でピストルズを延命させていました。

マルコム・マクラーレンは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」の替え歌をレコーディングさせてそのレコード発売も行っています。その後シドは他界しているので結果的には、シドの代表的ナンバーになりました。

セックス・ピストルズの特徴

パンクを象徴する反体制的なスタイルで、イギリス政府・イギリス王室・EMIのような体制や権威をこき下ろす歌詞とシンプルなギターコード。雑誌やテレビのインタヴューで "shit" "fuck" "cunt"を連発して、保守層からは敵視されていました。

ファッション

安全ピンや、髪をツンツンに立てるといったファッション。Tシャツなどにはスローガンを書き、ボロボロに切ったり穴をあけたりとしたファッションです。元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバー)が行っていたものを、マルコム・マクラーレンが採り入れたと言われていますが、ジョン・ライドンの自伝では、ピストルズ加入以前から短髪を緑色に染めたり、父親に買ってもらったスーツをカットして安全ピンで繋ぐことなどをしていたたと書かれています。

歌詞

ジョニー・ロットン(ボーカル)は、『アナーキー・イン・ザ・UK』で、「おれは反キリスト者でアナーキスト」と叫んでいました。破壊思想を垂れ流しているとして当局から監視されことになりました。。元MI5(英国機密情報局)の部員が後に証言していますが、MI5のテロリストやスパイの監視を行う部署には、『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』というタイトルの付いたファイル群がありました。そしてその膨大な書類は、すべてピストルズに関するものだったといいます。ピストルズは左翼のみだけに支持されたいたわけではありませんでした。曲『Bodies』はイギリスの保守ソングのランキング10位中にランクインしています。

今年の冬はパンクスファッション!
時系列でのあらすじ 時系列でのあらすじ2 主題歌&制作スタッフ セックス・ピストルズ God Save the Queen
シド・ヴィシャス その1 シド・ヴィシャス その2 記録 勝手にしやがれ!! シド&ナンシー